第二次世界大戦後の山梨の果樹畑
第二次世界大戦が終わり、農地改革が行われたことによって、山梨では果樹畑が増えていきました。
分家にあたる向山家初代の金重も、畑を開墾するところから始め、1日ではとても割れないような巨大な石を仲間と砕き、少しずつ少しずつ耕作できる面積を確保していきました。
今なら重機を使い、それでも数ヶ月はかかる作業を、全て手作業で進めていきました。
ゴールは見えていたのか。
それともただ目の前を開拓することに集中していたのか。
自らが植えた桃の苗が成長し、初めて実をつけたとき、祖父はいったいどんな気持ちだったのでしょう。
今ここで桃が
たわわに実り続けること
確かなのは、今ここで大きく甘い桃がたわわに実り続けているということ。
今、果樹栽培が続けられているのは、70年前、土地を切り拓いてくれた礎があるからに、違いありません。
当時は、農業が主産業である地域のため、子どもたちも家業を手伝うのは当然で、収穫期が近づくと学校は休みになりました。
今は紙製の化粧箱ですが、木製の箱を一箱ずつ手作りしていたそうです。
おいしい果樹を後世に残していく
「一宮の桃」となった祖父の成果は、父によりさらに積み上げられ、私たちの代にも受け継がれています。
これまで受け継いできた豊かな農地とそこで収穫できる
おいしい果樹を後世に残していくことが、今のアミナチュールの想いです。
環境とお客様のニーズに合わせて
進化し続ける
70年前から少しずつ改良を加え、環境とお客様のニーズに合わせて進化し続けている山梨一宮の桃。
桃に続いて栽培を始めたぶどうも一緒に、毎年、たくさんのお客様に喜んでもらえる果実が実っています。
四季の移り変わりをすぐ近くに感じる山梨で農業を続けてきた私たち。
人の心を豊かにしてくれる豊かな土と豊富な水の恵みを受けた農作物を発信することで、山梨の自然を受け継いでいきたいと考えています。
未来までつながる、
今しかできないことを
畑は農作物だけでなく、そこで遊ぶ子どもたちの豊かな感性も生み出します。
なくてはならないものを目に見える形で、自分たちの手で残していきたいと考えています。
未来までつながる、今しかできないことをしっかりと。
Ami=友達 Nature=自然
アミナチュールのこだわりは、常に素材に妥協しないこと。
桃・ぶどうをはじめ、ドライフルーツとなる果実には仕入れから加工前の独自の下ごしらえまで、徹底した品質管理を行います。
果実そのものの良さを追求し、お客様が安心して食を楽しめることが一番の願いです。
アミナチュールは未来に向けて、地域の課題である遊休農地の解消と、農産加工部門の販売強化を通じて、食品ロス率の低下と雇用の創出を行います。
また、農産品を通じて、地域全体の環境保全へとつながる事業を発展させていき、当社に携わる人々の精神を豊かにし、また携わる人々の拡大を望んでいきます。
少し先の未来にある、希望ある農業環境をつくりだすために。
これが今のアミナチュールの理念です。